サイモン&ガーファンクルが来日する。
三度目かな?
そのニュースを聞いた瞬間に、今回は多分最後だが、絶対に行かないと、と思った。
僕は彼らの音楽に詳しいわけでも、サイモン&ガーファンクルの情報に通じているわけでもないが、
その昔、1960年代から70年にかけて一番よく聴いたアーティストなのです。
最初はメロディーの素晴らしさに魅せられ、聴きこんでいくうちに詩の深さに心打たれといった感じでした。
思えばレコードの時代で、俗に言う「擦り切れるまで」というやつですよね。
高校、大学と暗くて孤独な学生だった僕は、1965年にニッポン放送に入社してスポーツ実況や「オールナイト・ニッポン」を担当するようになって初めて自分の青春期が訪れたような感じがしたものです。
そんなときに出会ったのがサイモン&ガーファンクル。
いろんな想い出も去来します。生で観る最初で最後のサイモンとガーファンクルは僕をどんな気持ちさせるのか・・・。
結構深く入ってきそうで恐い気もするんですよ。
最近、ちょっと気になるのが、「会釈」する人が減ったこと。
一般的にいうと見ず知らずの人が行きかう街中とか駅などで起きるちょっとしたこと・・
例えば道を譲るとか、ぶつかりそうになるとか、エレベーターや改札で順番を譲ったり譲られたりするなど。
そんなときに「あ、どうも」と普通だと右手をちょっと上げて頭をちょっと下げる。
この会釈(譲ってくれてありがとう)の意味を込めて自然にでる仕草です。
ところが、この会釈をしない人が急増してる。
私の感じでは日本人全体、老いも若きも。
この間なんて電車の中で、はずみで靴を踏まれたが、20代前半と思われる女性は
こっちの顔をじろっと見ただけで一言もなくいなくなった。
エレベーターで「開」のボタンを押してお先にどうぞをするとなにも言わず、
「すみません」の仕草もなく当たり前のように降りていく人が多い。
不必要に人にかかわりたくない気持ちはこのご時世だから分からないではないが、
「会釈」が消えた世の中は無味乾燥で味気ない。br />
袖すりあうも他生の縁。
その縁が総て危害を与える悪いやつとは限らないと思うんですけど・・・。
昨日は全国的に気温急上昇で、一気に「真夏日」になった地域も多かったようですね。
そんな日に栃木の那須のゴルフ場で、今年初めてのゴルフでした。
で、ゴルフはともかくとして僕が「いいなあ」と思ったのは前日泊まった友人が経営する会社の別荘。
東北自動車道のインターから30分ほどのところだったが、あたりは見渡す限りの草原で、その中にポツリポツリと家が点在している。
友人の別荘は敷地500坪の中に総檜造りの和風建築が三棟建っていました。
大きな露天風呂も含めて、温泉がでる風呂が四つもありました。
話に聞くと、新幹線で東京駅まで、ほぼ一時間。
こちらに住まいを移し、新幹線通勤をしている人もいるし、老後の生活をこちらで過ごす人も多いということでした。
「土地100坪で建物30坪ほどのお宅が1000万ちょっとで手に入るという話。
車でちょっと行くと、スーパーやコンビにもあり、日常生活には困らない様子。
ちょっと考えさせられますおね。
確かに自然豊かで気持ちが伸び伸びします。
私の友人や知り合いの人の中には熱海や軽井沢、そしてこの那須から東京に通っている人もいます。
たまに行くからいいんだとか、いろいろ意見はあるでしょうが、こういう生活に少しでも気が動かされるということは、
私もそんな年齢になったのかと実感した次第。
どんなもんでしょうかねえ。
先週の金曜日は千葉市若葉区のJA千葉未来の農産物直売所「しょいかーご」からの公開生放送でした。
「しょいかーご」からの公開放送はこれで五回目。
何度もやっているので、お客さんが来てくれるかどうか心配しましたが、
200人の椅子席とその周囲は立って放送を見学してくださる人達も大勢いらして、まずひと安心でした。
ラジオはスタジオでいつもやってるいるので、外に出ると勝手が違いちょっと落ち着きません。
これが何回やっても慣れないんですよね。
絶えず人に見られているという状況はラジオに慣れている私にとって異次元の空間で、
しゃっべっているときはともかく、CMが流れているときなど、どんな顔をしていればいいのか・・・、困るんですよこれが。
きっとお互いに何か新発見があるのではと思います。