いやはや、大汗をかきました。
数年前に、親戚の叔父がなくなり、生前、その叔父が無類の麻雀好きとあって、形見の品として叔父が愛用していた全自動麻雀卓をもらいました。
雀荘では、ごく当たり前に稼動している全自動麻雀卓ですが、タイプが古い。
もう耐用年数が限界に来ていたのでしょう。
自宅で何回か麻雀をやりましたが、一度として順調に動いたことがなく途中で必ず不具合が生じる。
業者さんに来てもらって二度も調整したんですけどうまくいかない。
とうとう途中で全自動をあきらめ、手積みで麻雀をやる始末。
なんのための全自動かということになってしまいました。
とうとう私、腹に据えかねこの役立たずの全自動麻雀卓を処分することにしました。
ええ、粗大ごみ。
代金が300円券、6枚。200円券、2枚。
まあ、それはいいとして、当日玄関前に運び出すのが、これがまあ、重い重い!
あれは一体ナン10キロあるんでしょう。
家内と二人で、ぶつけないように、足に落とさないように、暫し20分ほどの格闘。
全身つぶつぶの汗まみれでいやはや全くの重労働でした。
それにしても一度として満足に稼動しなかったなあ、アイツは。
熱中症というのは、いつ頃からいわれるようになったのでしょうか。
考えてみると昔はひどかった。
真夏の炎天下、激しい練習に明け暮れる運動部でも「水」を飲むのはご法度なんて時代がありました。
今考えると全く非科学的で考えられないことですよね。
人間の体が根本的に変化したわけでもないですから、その頃も熱中症はあったと思いますが、
「根性」の時代ですから、「たるんでる!」くらいですまされていたのかもしれません。
私も何回かあわやというのを経験しています。
いちばん印象に残っているのが、50歳くらいのときでした。
凄まじい猛暑の夏、浜松にゴルフに行き、これができたてのゴルフ場で植えられている木がまだ育っていない状況で日陰が全くない。
夏休みで、三日連続でゴルフの最後の日だったのですが、暑さにやられて急に体がだるくなり、そのうち目の前がくらくらし始めました。
その日、もちろん横浜の家に帰るつもりだったのですが、そんな元気もすっかり失せ、キャディーさんに訊きました。
「この辺に民宿ないですか」
ラッキーなことにゴルフ場のすぐ近くにあるキャディーさんの実家が、民宿をやっているというではないですか。
一も二もなくお願いして一泊することにしました。
妙なもので急に元気が蘇り、最後までゴルフは続けました。
倒れこむように民宿に着き、水風呂に入ったのですが、これですっかり元気回復しまして、
その後夕食で飲んだ冷酒が文字通り五臓六腑に染みわたりました。
それ以来、暑さに対してはとても慎重になり、以来、真夏のゴルフは控えるようにしています。
皆様もどうぞ油断なきように。
なにしろ突然おかしくなりますので。
梅雨明けはまだですが、これだけ暑いと気分はもう真夏です。
若い頃は夏が楽しみでした。
物のない時代でしたから、泳ぐくらいしか楽しみがなかった時代です。
もう、5月あたりから晴天の日は海へ行きました。
走水、観音崎など。
素潜りばかりやってましたね。
大人になってからスキューバもやりましたが、
やはり思い出は子供の頃から親しんだ「素潜り体験」です。
夏になると思い出すのは高校時代に毎年必ず出掛けていた、千葉、房総の館山からバスで30分ほど行ったところにあった「相の浜」です。
友人の親戚の家があって、そこに80歳くらいのおばあちゃんが一人で住んでいました。
8畳、6畳、3畳の古い家で、蚤や蜘蛛などが我が物顔の凄い家でした。
風呂はなく、井戸で水を浴びる毎日でした。
大体一週間くらいの滞在でしたが、友人数人で毎日浜へ出て素潜りに熱中しました。
もう真っ黒に日焼けして。
あの頃は一番元気でしたねえ。
よくもまあ疲れることもなく、毎日太陽に照らされて熱中症にならなかったと思います。
「相の浜」もその後普通の海水浴場になったときいてますが、僕らの頃には何もなく素朴な海岸でした。
そんな思い出があるので毎年、夏になると、ちらっと海に泳ぎに行きたいなという思いが蘇ります。
思いながらも、あまりの暑さに実際に出掛けるエネルギーはもう出ないんですけどね。
ちらっとでもそんな思いに駆られるのは「相の浜」の楽しかった思い出があるからなんだと思います。

洞爺湖サミット。
ニュースでも再三放送されてすっかりおなじみになった丘の上のウィンザーホテル。
私が今度のサミットで感慨一入なのが、会場が「ウインザー洞爺」で開かれているということだ。
今日(24日)の「特ダネ ホットライン」でも話したが、自分なりに思い入れが深い。
運営会社の社長でホテルの実質的な総支配人の窪山哲雄さん。
窪山さんは、日本一のホテルマンで、業界では伝説的人物である。
コーネル大学のホテル学科を卒業されてからホテル経営ひと筋の人生を歩んで来られた。
ニューオータニ、ベイヒルトンを経て長崎ハウステンボスに転じ、
テンボスのホテルヨーロッパを泊まってみたいホテルのナンバー1に育てあげた。
バブルの頃、経営の行き詰った「エイベックス洞爺」今の「ウインザー洞爺」の経営を引き受けることになったが、なんと肝心のメインバンク、拓銀が破綻してしまった。
忘れられないのは、拓銀が破綻したその直後に私は「ウインザー洞爺」に宿泊している。
その夜、窪山さんとお目にかかる予定だったが、窪山さんはそれどころではなくなっていた。
「私が感動するのは、その後の窪山さんの「ウインザー洞爺」復活にかける情熱とバイタリティーである。雌伏○年というやつですね。
とうとう、窪山さんは「ウインザー洞爺」を世界一流のホテルに育てあげた。
朝の「中年探偵団」の頃、番組の旅行でリスナーの皆さんと宿泊したのも忘れられない思い出です。