夜中に突然の電話で起こされる。
「もしもし○○営業所?」
またかと何度うんざりしたことだろう。
実は我が家の電話番号が,以前はある自動車販売会社の営業所の番号だったのだ。
新しい電話番号にするとき、NTTからいくつかの電話番号を提示され、
その中から語呂のいい番号を選んだ。
1511(いごいい)と読める。
その営業所はもう何年も前に閉鎖になって今はない。
しかし、知らずにその番号に変えた我が家は、とんでもない迷惑を被るようになった。
局番も同じなので間違い電話が絶えない。
車の説明書を見ると全国の営業所の一覧が載っている。
何か車にトラブルがあったときに最寄りの営業所に連絡しなさいというサービスの一環だろう。
思い余って、自動車会社の本社に尋ねた。
その営業所は現在は総ての印刷物から当然削除されているが、昔の車のパンフレットまで遡って削除するのは難しいと、当然の答えであった。
この間違い電話ってやつは、被害を被った人でなければ大変さがわからない。。
思えば、
僕のやっているラジオでも、電話番号を放送で告げ曲のリクエストや意見を募るというのを当たり前にやっている。
当然、放送局のリクエスト専門番号なのだが、
その番号に近い番号や間違えやすい番号のお宅などに
「間違い電話がかかり多大の迷惑をおかけしているのではないかということだ。
こちらはいつもの番号なので簡単に告知するが、毎回気持ちを新たにして慎重に番号を言わなければと自戒した次第である。
自宅の電話番号は語呂の悪い方が安全だなあとしみじみ思っている。
よくある語呂合わせに近い番号はきっと、最悪なのだろうと思う。
わかりやすいというのも、よしあしってことですね。
先日、披露宴にお呼ばれした。
ずっと一緒に仕事をしてきた僕の所属する事務所の女性が結婚したのである。
「今流行りらしい「人前結婚式」であった。
あれはいいですね。
頼まれ仲人もいないし、親のまる抱え結婚披露宴の「ご両家」中心という堅苦しさもない。
新郎新婦の友人たちが、全面的に協力して披露宴を盛り上げている。
映画のポスターに二人の顔写真を合成して、ウエルカム看板でお出迎え。
特に良かったのは、過剰な演出がなかったこと。
ともすると盛り上げを考えるあまり、友人の悪ふざけとしかいえないようなことがおこり
出席者がしらけてしまうなんてこともおこったりする。
意外なことに、今回の披露宴では全くそれがなかったのである。
時間もほどよかったしね。
結婚の業界も少子化で客の取り合い。
あの手この手で結婚の演出を考えるが、中には「これでいいのかな」と考えさせられるものもある。
きれいな庭で行われる「ガーデン披露宴」で、その日は生憎のカンカン照り。
両家の親族のお年寄りが二人、気分が悪くなり病院に運ばれたことがある。
僕の経験で一番凄かったのは、
教会から式を終えて披露宴会場に向かう新郎新婦の乗った車が、
道の両側に並んで車を見送る親族の列に突っ込み大騒ぎになったことがある。
あまり慣れない演出は考えものだ。。
若い頃は結婚披露宴に行くと慣れないおしゃれなどしてちょっとした
「異次元空間」の高まりを感じたものだが
最近は、感激の面持ちの二人を見て本気で「この二人がうまくいくように」と
念じるような気持ちになってしまうのは,やはり年齢のせいなのだろうか。
自分も含めてうまくいかない夫婦を見過ぎましたからねえ。
とはいうものの、今回の二人は似合いのカップル。
職人的実直な雰囲気の新郎に、瓜実顔の本当に美しい花嫁。
涙涙の花嫁に、友達ももらいなき。
若いってのは、やっぱりいいですね。

今更歳の差のギャップに驚いてなどいられないが、でもやっぱり心底びっくりすることがある。
今年の四月に、大学に平成元年生まれが入学してきたとニュースになった。
「そうか、平成も19年になったんだなあ」と改めて時の速さを思う。
思い返せば、「年号は平成です」
テレビで発表した当時の小渕官房長官ももういない。
亡くなって、もう何年になるか。
大正大学で週に一度学生に話す機会がある。
その時のテキストが、僕がPHP研究所から出している「ビジネス会話術」という本である。
たまたま何の気なしに
「PHPって知ってるよね」と学生に尋ねたところ、なんと全員がポカンとした反応だった。
驚いた僕は「松下幸之助って分かるでしょ?」
と続けて質問すると、教室中がシラ~としている。
「松下幸之助を知ってる人、手を挙げて」
といったら、
なんと数十人の大学生の中で手を挙げたのは一番前に座っていた女子学生ただ一人だった。
僕の頭に草田男の
「降る雪や、明治は遠くなりにけり」がふと頭に浮かんだ。
もちろん「昭和は遠くなりにけり」という意味で。
「じゃあ、本田宗一郎は」
に挙手は三名。これは僕にとってかなりショッキングな出来事だ。
中学生の頃を思い出した。
明治生まれの先生がいて「お前達、乃木大将を知らんのか!」と叫んでいた。
アノ気持ち、今ならわかる。
「いずれ昭和は明治と同じように時の彼方へ去っていく。

ちょっと気分転換したいなあと思うと迷わず熱海へ出掛ける。
宿泊先は必ず「熱海後楽園ホテル」。
ラジオのCMがきっかけでお世話になるようになった。
温泉、サウナと酒、それに中国整体。これで充分リフレッシュできる。
「言うまでもなく熱海は近い!
車でも我が家から一時間半もあれば着いてしまう。
友人、知人の別荘に何度かお邪魔したことがあるが、ヒガミでもなんでもなく、大変さが先にたつ。
別荘の掃除を初め細々とした雑事。
そういった生活を楽しむゆとりのある方にはいいかもしれないが、
不精な質の僕には向いていないような気がする。
第一別荘は手に入れるのにお金がかかる。
管理費もあるしね。
その上年に何回出掛けるのか人によって違うだろうが、中には最初の数回で飽きてしまい、
もう何年も空き家同然なんてケースもよく聞く話だ。
もちろん僕には別荘を買うゆとりはないが、たまの熱海が一番の息抜きになる。
それこそ到着したら何もしなくていいしね。
たまの熱海は安いものだ。
今、別荘地を老後の安住の地に選ぶ人が増えているのだそうだ。
そういえば先輩諸氏の中にも河口湖や猪苗代、軽井沢、八ヶ岳などに移り住んだ人がいる。
自然に恵まれた環境の中でゆったりとした時を過ごす。
理想の老後のような気がしないでもないが、中には東京に舞い戻ってくる人もいる。
「夜になると真っ暗なんだよね」
ナルホドねえ。
テレビ番組では「小さな旅」が人気である。
地名は知っているし,友人などからもその噂は聞いたことはあるが行ったことがない。
自宅からその気になれば半日ですぐ行けるのに、まあ不精というか、なかなか足が向かない。
もう何度もテレビで見た「川越」に行って来た。
高田馬場から西武新宿線の「小江戸号」に乗って,僅か二駅で本川越に着く。
駅前に案内のためのテーブルが設けられ、案内人のおじさんが案内地図を渡してくれる。
地図を手に駅から10数分歩くと,なるほど小江戸と呼ばれるにふさわしい蔵の町並みが続く。
「蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町屋形式として発達したものです」
と案内地図の説明。
一階が店で二階は住まい?いろいろな店が続く。
刃物を扱う店、豆を売る店、お新香の店、ひとつひとつがどれも楽しい。
スポーツ用品の店も蔵造りだったのには笑った。
「テレビでよく見たあの町並みを発見タレントが「懐かしい!」と叫んで
お団子をほお張り,駄菓子を口にする定番の町並み、「菓子屋横丁」だ。
この横丁の最盛期は昭和の初期で、七十余店が軒を連ね
シソパン、千歳飴、金太郎飴、水羊羹、かりん糖など
数十種類の菓子が製造されていました」だそうだ。
どの店にも無数のタレントのサイン色紙が飾られ、いかに取材が殺到しているかが分かる。
僕も買いましたねえ。駄菓子の数々。
このブログもその時の駄菓子を食べながらです。
僕が行ったのは土曜日だが、蔵の町並みを車が行きかい、ちょっと歩きにくいのが気になった。
歩行者天国にするともっとゆったりするのになあ、と思った次第。
「でも川越は楽しい。行ってよかった!!