ここ1年くらい、ネット麻雀にはまっている。
とにかく面白いんですよ、これが。
森山茂和さんというプロ雀師と知り合い、
日本プロマージャン連盟主催の「ロン2(ロンロン)」
のお試し券をもらったことがきっかけ。
会長が小島武夫さんで森山さんはここの副会長。
通常は数ヶ月で期限切れになるのだが、特別なはからいで
「マージャン界発展の為、高嶋さんを今後100年間の永久会員とします」という
お墨付きを頂いた。
100年経ったら、僕はいくつ?164歳、
まさにあの世に行ってももロン、チー、ポン。
なかなか洒落の利いたお墨付きである。
寝る前に、1時間くらいほとんど毎晩やっている。
ネット麻雀は、全国にいる会員が麻雀をしたいときにサイトを開いて参加申し込みをすると、
任意に4人が選ばれる仕組みになっている。
参加者はハンドルネームを使っているが、「秋田市民」「西郷ドン」などいろいろな名前をつけている。
4人のメンバーの選出はどういう基準かわからないけど、自分より弱い人、強い人、
時々プロと当ったりしてこれもまた面白い。
画面には、順位率と、レーティング=全参加者の中で自分がどの程度の
地位にいるかという数字がでている。
僕はレーティング1700以上獲得で全体の5パーセント以内に入っている。
全国に何千人の会員がいるのか分からないが、とにかく苦労して初段になった。
夜中の3時頃、眠れなくて目を覚ましたときにサイトを開いてみると、結構みんなやっている。
何時でも起きてやっているのだ。
ネット麻雀にはまったおかげで、困ったことがわが身に起きた。
久々に仲間を集めて本当のマージャンをやったら、妙な感覚に襲われたのである。
ネット麻雀は、自分でパイを積むことがないし、何もしなくてもパイを勝手につもってくる。
パイを捨てるのもクリック一つでOK。
コンピュータが全部やってくれるので、右手しか使わない。
ところが、実際の麻雀はパイを積むのもツモルのも当たり前のことだが、
全部自分でやらないといけない。しかも両手で。
クリックひとつであとは何もしなくていい、ネット麻雀に慣れきった我が身には、
これが無茶苦茶面倒くさいのだ!
なんで真向かいまでいちいちパイをツモリに手を伸ばさなきゃならいのか。
煩わしいこと、この上もない。
そのうち、伸ばした腕に疲れを感じたりする始末なのだ。
しかも僕の場合、ネット麻雀では、一周してお終いの東回しばかりやっていたので、
実戦の東南回しの麻雀はとても長く感じられた。
まさに、ITシンドーロームだね。
また、捨て牌もネット麻雀では実に整然とキレイに並べられる。
ところが実戦では捨てパイの並べ方が汚いやつがいて、右に寄ったり左に寄ったりして
捨てパイがごちゃごちゃしてる。
そんなところも気になって、だんだん腹が立ってきた。
人間の習慣っておもしろい。
パソコンや携帯でメールを出すようになって以来、実際に手紙を書こうと思い
便箋を目の前にすると本当に書けなくてイライラする。
漢字は忘れているし、文章はでてこないし本当に情けない。
進化論的にいうと、遠い将来、人間は両手もいらなくなるかもしれないなと思ったりする。
頭と指先があればいい。こんな事になりかねない。
パソコンの普及で絶対に人間は退化していく。そんなこと思いながら、またパソコンに向かう俺。
ちょっと末期的かな・・・・・・!
日本人は、どうして桜というと興奮するのだろうか。
そういう僕も立派なにほんじんなのだが・・・。
ところで、気象庁の桜開花予想というのはほんの数輪咲いた段階で
だされるようだが、 あれはちょっと先走り過ぎではないのかな。
「開花宣言!」といはれると「スワッ花見!」
と我々を駆り立てるではないですか。
ところが咲いてる花を探すのがなんとも情けない。
まるで宝探しのように目を凝らさなければならない。
桜の会を催す人たちもさぞや気苦労が多いことと思う。
先週の土曜日は早朝から春の嵐。
しかも冷たい雨がぱらつく中、
横須賀の海上自衛隊が主催する「観桜会」にお呼ばれした。
横須賀の田戸台という見晴らしのことさら良い高台に
戦時中の横須賀鎮守府の長官の官舎、
現在は海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎がある。
毎年ここで関係者を招いて恒例の「観桜会」を催しているそうだ。
花見といえば、桜の樹の下でのドンちゃん騒ぎしか知らない僕は
「観桜会」という格調高い響きにとまどいスーツにネクタイで
いそいそと出かけたわけです。
数百人の来場者。
雨除けのテントを張り、一流のホテルにも匹敵するおいしい料理の数々。
見渡せば確かに数百本の桜の樹が会場狭しと枝を伸ばしている。
しかし、しかし、硬い蕾が見られるだけで
桜の花は全くほころんだ気配もない。
ところが会場内をグラスを手に散策するうちに数輪の開花した桜を発見した。
その部分だけライトアップされている。
そうか、恐らく主催者は桜の花が一輪も咲いていない「観桜会」は
趣旨にもとると判断したのでしょう。
「ここの桜だけよく咲きましたねえ」と訊ねたら
「重油三缶焚いてなんとか咲かせました」
なるほどよく見ると札がぶら下がっている。
「咲かせました」主催者の苦労が偲ばれる。
桜の花と短冊の妙なマッチングが面白かったので
撮ってみました。
いかがでしょうか。今年の桜は。

還暦を過ぎて早や五年、ウソでなく全く実感がない。
ところが身の回りで早く亡くなる人が出てきた。
先日、今年喜寿を迎える先輩と食事をする機会があった。
「僕の世代でもそろそろお迎えが来るようになりました。高校や大学時代の友人が亡くなりまして」
といったら先輩がおっしゃった。
「そろそろならまだいいです。僕の世代は『ぞろぞろ』だから」
う~ん、深い!
一昨年、姉が亡くなり、去年母を亡くした。
父は僕が小学校五年生のときに亡くなっているので、幼き頃から共に過ごした家族は
誰も居なくなってしまったことになる。
それなりに感じることは多々あるが、ご先祖に思いを馳せるようになったことが
一番の変化かもしれない。
両親の墓は長野県の松本市にある。
父の実家は松本で十三代続いた畳表の問屋だった。
僕の祖父の代でつぶれてしまったんですけどね。
ですから先祖代々のお墓は当然松本にあるわけです。
昔の墓地ですから個人に一つずつの墓石が無数にありました。
古いのは慶長○○年なんて墓石に彫ってある。
幾星霜を経て傾いたりしている墓石もあって
「ひとつにまとめてきれいにしないとなあ」
と思い続けてきた。
でも若い?頃はすぐに忘れてしまった。
母の死をきっかけに先祖の墓地を修復することにした。
長年ご無沙汰の菩提寺に電話をし、今までの非礼を詫びた後、
石屋さんを紹介してもらった。
お寺さんも石屋さんも大昔の畳表問屋、「高嶋」を憶えていてくださり、
日頃殆ど感じていなかったご先祖とのつながりを実感した。
こんなことも年代のなせる業なのかなあと思ったりする。
その墓が出来て早や一年。
つい先日のお彼岸に母の一周忌もあり墓参りに行ってきた。
自分自身決して老け込んだという実感はないが、
やはり墓前で手を合わせたりすると、それなりの心の落ち着きを覚えたりするのは
「それなり世代」の自然の成り行きなのだろうかと思う。
ご先祖があって今日の自分がいる。
そんな当たり前のことが実感できる年代になったということだ。
中国の経済成長は目覚しい。
もう数年前になるだろうか、銀座4丁目に近いビルの屋上の広告塔に
「ハイアール」というネオンサインが付いた。何の会社か別に気にもしなかった。
しかし某経済雑誌で、アメリカの家庭における小型冷蔵庫のシェアトップを獲得した会社として
「ハイアール」が紹介されていた。
なんと、ハイアールというのが中国の家電メーカーだという。
気づかないうちに、こんなに進出しているなんてとびっくりした。
中国の経済力の発展は、日本の風景さえ変えつつある。
団体旅行に限り日本への渡航ビザが免除されたこともあり、
最近あちこちで中国人観光客を見かける。
あるレストランに入ったときのことである。
中国人の団体観光客が来ていた。
20人以上いるので、テーブルが通路を挟んでこちら側と向こう側に別れてしまっているのに、
なんと通路をはさんで大きな声で話をしている。
普通日本人の感覚だと、通路を挟んだ向こう側のテーブルとは話をしない。
同じテーブルの人と和やかに話しをして食事をするくらいで、
わざわざ大きな声で遠くの人には話しかけない!!
とにかくうるさい。
店には日本人の客も何組かはいたが、中国語の往来に食事や話どころではない。
こちらも、早々に退散した。
その翌日のことである、山手線の電車の中でまたも中国人の団体客と遭遇した。
あまり混雑している車内ではなく、
こちら側の座席に数人、向こう側の座席に数人が座りしゃべっている。
横に座っている人にしゃべればいいものを、向かい側の人を相手に大声でしゃべっている。
車窓の風景を話題にしているのか、大きなビルが通り過ぎると指をさし、
あるいは新幹線が通過するとまた何かを叫ぶという感じで、
通路越しの会話は途切れることがない。
その中国人の団体と並んで、50代半ばくらいの男性が本を読んでいた。
目の高さまで本を引き上げて読んでいる。
時折、本をずらしてちらちら彼らをみているが、
基本的にはここにいたくない、声を聞きたくないというのが態度で見て取れた。
見るともなしにその男性を見たら、本のカバーがはずれて、タイトルが見えた。
「中国が世界をメチャクチャにする!」。
プッと噴出しそうになるのを必死にこらえた。
長い人生すごしていると、
まさに目の前で真実が証明される瞬間に遭遇することもあるのだ。ハハハ!
どうしても気になり、本屋にかけこんだ。
例の本が平積みになっている。
ジェームズ・キングという元フィナンシャル・タイムズの北京支局長が書いた本で、
フィナンシャルタイムズのビジネス・ブック・オブ・ザイヤー2006に選ばれていた本だった。
興味のあるかたは、本屋さんへ。

携帯電話の機種を変えた。
カシオの新しいタイプで、待ち受け画面が街並みになっている。
昼間は携帯画面の中の街も昼、ヨーロッパの石畳のカフェの前で、
絵描きがキャンバスに向かい、お茶する人あり、行きかう人あり、
時々車が走っていったりする。
夕方6時になると、なんと待ち受け画面の街にも夜の帳がおりて、
ホテルに灯りがともり、夜空に星がでたりする。
なかなか芸が細かい。
すっかり生活に馴染んでいる携帯だが、一つどうしても理解できないものがある。
メールの絵文字というやつ。
笑顔とか、怒った顔など「ナルホド」と楽しく感じるものは納得できるが、
絵文字の中でも、あの何種類もあるハートマークには驚かされる。
大きなハート、小さなハート、二つのハートがくっついたり離れたりするものなど、
可愛いといえばかわいいが、全くなんで最近の若い女性はこんなにもハートマークが好きなのか。
「いろいろ使い分けるんです」と若いOL。
そういえば、バレンタインデーの頃に、たまたまスーパーに行ったとき
不思議な形をした「きゅうり」を発見した。
妙に形のゆがんだきゅうり。
普通のきゅうりは細長い丸い形だが、
その不思議なきゅうりは途中にくぼみがついていびつな形になっている。
不良品かと思ったらお値段が普通のきゅうりより3割ほど高い。
近くの店員さんに聞いてみた。
「これですか。きゅうりを切ると切り口がハート形になるんです」
野次馬根性でそのきゅうりを買ってきて切ってみた。
なんとまあ、本当に切り口がハート形になっている。
味は普通のきゅうりとなんら変わらない。
「へえ~」
と妙に感心。
次にスーパーに行ったとき、きゅうり以外にも類似品?はないか探してみた。
ありました。ありました。
切ると、切り口がハート形になる「レモン」
「わあ、きゅうりがハートになってる。カワイイ!」
「レモン、ハートだよ。カワイイ!」
女の子のこんなやり取りがふと浮かぶ。
生産者もいろんなことを考え、苦労してやっているんだなあと妙に感動する。
きゅうりをハート型にした生産者は偉いのか。
切り口がハート型になるという付加価値をつけ並みのきゅうりを
2,3割高く売ったのだから確かにエライといえばエライ。
きっと若い人の発想だろうなあ。
でも、きゅうりはきゅうりだ!
という世代には
「とんでもない時代になったもんだ」
という嘆きも聞こえてきそうだ。
やたらハートが幅を利かせる世の中で、
ここまでやるのかと不思議な感じを覚える。
俺らはハート世代じゃないからね。
携帯の絵文字にはいろんなハートがあるが、そのハートにはそれぞれ色んな意味があるそうだ。
「本当に好きな人には、この花びらのようになっているハートを使うんです」
「好意を寄せてる人にはこっちのハート」
先日この僕にも女性ディレクターからハートの入ったメールが届いた。
普通のハートがひとつだけ。
「このメールのハートの意味は?」
「仕事の予定を忘れないでくださいっていう、心をこめた念押しです」
愛のかけらもないお言葉、ありがとう!
「ヤー。どーも。高嶋秀武です」
